東京高等裁判所 昭和61年(う)660号 判決 1986年9月29日
控訴人 被告人
被告人 前田俊彦
弁護人 岡邦俊 外三名
検察官 松崎康夫
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人岡邦俊、同碓井清、同鎮西俊一、同舟木友比古連名及び被告人本人名義の各控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官土屋眞一名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
弁護人の控訴趣意第一点(公訴受理の不法の主張)について
所論は、酒類の無免許製造犯は受けるべき免許の種類毎に別個の犯罪が成立し、種類を異にする無免許製造行為は常に公訴事実の同一性の範囲外となるところ、昭和五九年四月二八日付起訴にかかる公訴事実は、被告人が清酒を製造しようと企て、清酒の原料となるその他の雑酒約二六・一リツトルを製造したが、清酒製造の目的を遂げなかつた、という清酒の無免許製造未遂行為であるのに対し、これについての告発事実は、被告人がその他の雑酒約二六・一リツトルを製造した、という雑酒の無免許製造行為であつて、違反したとされる無免許製造の種類が異なつているから、公訴事実と告発事実との間には同一性がなく、右公訴は訴訟条件を欠くものとして公訴を棄却すべきである、しかるに、原審は、国税局長の告発という訴訟条件を欠く右公訴を棄却することなく不法に受理した点において違法であり、刑訴法三七八条二号に該当し、原判決は破棄されるべきである、というのである。
そこで、記録を調査して検討すると、東京国税局収税官吏大蔵事務官が昭和五九年二月二七日被告人宅において四斗桶(七二リツトル入り)一個に仕込まれていたいわゆる濁酒二六・一リツトルを押収したことから、東京国税局長は同年四月六日被告人を無免許で酒類を製造したものとして告発したこと、その告発の内容は、被告人は「所轄東金税務署長から酒類の製造免許を受けないで、酒類の製造を目的として、昭和五九年二月一五日千葉県山武郡芝山町菱田七九七番地の住所地を製造場所として、容量約七二リツトル桶一個を製造容器として、これに白米約一〇キログラム、米こうじ約五キログラム及び水約一二・六リツトルを原料として仕込み、新聞紙四枚をふたとして使用し、同年同月二七日までの間に発酵させて、その他の雑酒二六・一リツトルを製造したものである。」というものであり、一方公訴事実の内容は「被告人は、清酒を製造しようと企て、所轄東金税務署長の免許を受けないで、昭和五九年二月一五日、千葉県山武郡芝山町菱田七九七番地の被告人方において、容量約七二リツトルの木樽に、白米約一〇キログラム、米こうじ約五キログラム及び水約一二・六リツトルを原料として仕込み、同月二七日ころまでに発酵させ、もつて清酒の原料となるその他雑酒約二六・一リツトルを製造したが、同日、収税官吏によりこれを差押えられたため、清酒製造の目的を遂げなかつたものである。」というのであつて、告発にかかる事実と公訴事実は同一の差押にかかる雑酒約二六・一リツトルを対象とし、違反行為の日時・場所、具体的行為、態様を全く同じくするもので、ただ告発にかかる事実においては、被告人が清酒を製造する目的でその過程で雑酒を製造したのか、雑酒の製造を終局目的としてそれを製造したのかについては言及せず、現に差押えられた酒がいわゆる「濁酒」であつて、「こす」以前のものであることに焦点をあわせて、無免許で差押えにかかる雑酒二六・一リツトルを製造したものとしたものであつて、税務当局としては、「濁酒」すなわち雑酒製造の目的で雑酒を製造したにしろ、清酒製造の目的で、その過程でその前提となる雑酒を製造したものであるにしろ、差押えにかかる酒の無免許製造行為について犯人の処罰を求めて告発したことが明らかである。そして、雑酒製造の行為が、清酒を製造する意思で、その前提としてなされた場合には、原料たる雑酒の無免許製造の罪は、目的たる清酒の無免許製造罪に吸収されて一罪となる関係にあるので、本件の告発の効力は、当然右の清酒の無免許製造(未遂)の公訴事実に及ぶことになる。したがつて、右公訴事実は訴訟条件に欠けることはないから、これにつき公訴を棄却することなく実体審理を遂げた原裁判所の措置は相当であり違法はない。論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第二点(訴訟手続の法令違反の主張)について
所論は、要するに、原判決の憲法判断は国税庁長官の回答書をよりどころとするものであるが、憲法判断の基礎となる立法事実は、公訴事実の認定の場合と同様証拠に基づき認定されなければならず、右回答書が憲法判断の基礎となりうる証拠であるためには、訴訟当事者による弾劾を経たものでなければならないところ、原裁判所は、被告人・弁護人が右回答書の証明力を弾劾するため申請した国税庁当局者の証人申請を却下したが、右措置は証拠決定に関する裁判所の裁量の範囲を逸脱し、刑訴法三〇八条に違反するものであつて、原裁判所の訴訟手続には法令違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というにある。
そこで記録を調査して検討するに、問題となる立法や法条についての憲法判断は、その憲法判断の素材となる事実を基礎として、それに憲法的価値判断を加えることによりなされるのであるが、この過程は全体として法律的判断・法律解釈であり、憲法判断の基礎となる立法事実は、社会一般の現象として生起し、あるいは発生の蓋然性ある事実であつて、公訴事実や特定の事件の中で現実に起つた特定的事実で証拠により認定される司法的事実とは異なり、性質上証拠調手続によつて確定することを要する事実ではない。憲法判断の素材となる立法事実を認定する資料については、法律的判断・法解釈の責務を負つている裁判所が自ら調査、収集し、検討すべきものであるところ、当事者においても、これを法廷に顕出し、あるいはこれに反駁を加えて裁判所の憲法判断に資することができるが、その方法は必ずしも証拠調手続によらなければ法廷に顕出できないものではなく、適宜の方法により、裁判所及び相手方当事者に、これを明らかにすれば足りるのであつて、すでに公刊・公表されていて直ちに利用できる資料についてはその所在なり出典なりを明らかにすれば足りるし、また専門家作成の意見書や関係機関等の報告書、照会に対する回答書を求めてこれを法廷に顕出することによつてもなし得るのである。
ところで、弁護人は、原審において国税庁当局者二名の証人申請をしたが、その立証趣旨とするところは、酒税法の沿革及び立法目的、酒造免許制度の趣旨・目的・必要性等に関する国税当局の見解、酒造免許制度の運用実態を明らかにするためというものであつて、これらは自己消費目的の酒造を規制する制度の憲法判断のための立法事実を探知しようとするにあるところ、原審裁判所は右立証趣旨にかんがみ国税庁長官に対し、「酒税法上の自己消費目的の酒造(自家用酒造)の規制制度について」と題する照会をし、その回答書を得て、原審第六回公判においてこれを顕出して当事者双方に本件憲法論争の素材を提供したが、これより先、同裁判所は、弁護人の酒税法の形成過程を立証趣旨とする証人竹内直一、同穂積忠彦(穂積証人の関係では外国における自家酒造の実態をも立証趣旨に追加)の申請を採用し、第四回公判で前者を、第五回公判で後者をそれぞれ取り調べ、被告人・弁護人に、自己消費目的の酒造を規制する制度の立法事実につき、資料の提供や争う機会を付与ずみであつた。したがつて、右証人取調べの結果や、右回答書の内容・性質等に照らし、原審裁判所が前記国税当局者の証人二名を取り調べる必要性はないものとして原審第六回公判においてその申請を却下したことは、証拠決定に関する裁判所の裁量の範囲を逸脱するものではなく、同法三〇八条にも違反せず、何等訴訟手続に法令違反は認められない。論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第三点(事実誤認の主張)について
所論は、被告人が製造した「濁酒」の一部を布袋でこしたことは事実であるが、酒税法の清酒の定義規定にいう「こす」行為とは、「もろみを、ふな掛けして、圧搾ろ過し、液体の部分と固形状の部分とに分離すること」、「目の非常に緻密なナイロン濾布を用いて油圧機で強い圧力をかけてしぼること」を指し、布袋を使つてこす行為は、酒税法にいう「こす」行為に含まれないところ、被告人は右酒税法にいう「こす」行為をして清酒を作る意思はなかつたから、被告人には清酒製造の犯意はなかつたものというべきであるのに、原判決は構成要件を拡張解釈して布袋でこしたことをもつて酒税法にいう「こす」行為にあたるとして清酒製造の犯意を認定した点で事実を誤認しており、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで、記録を調査して検討するに、技術の進歩により、現在の酒造りの方法としては、所論にいうようなこす方法が一般的に用いられることが多いけれども、酒税法三条三号イにいう「こす」行為は、濾過材の材質や強い圧力を加えて濾過させたかどうかを問わないのであつて、その方法のいかんを問わず酒類のもろみを液状部分とかす部分とに分離するすべての行為をいうものと解するを相当とするところ、原判決挙示の証拠によれば、被告人は原判示の各事実につき、当初から布袋でこして自ら飲み、また人に振舞うつもりであつたと認められ、原判示第一及び第二の事実については現に布袋でこしていることが認められるから、被告人には清酒製造の犯意があつたものというべく、原判決に事実誤認は認められない。諭旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第四点(法令解釈の誤りの主張)について
所論は、要するに、酒税法の目的は、酒税の徴収確保にあり、商品としての酒造りを規制するだけであるから、酒税法七条一項、五四条一項は、商品としての酒類を業として製造する行為のみを規制の対象とするもので、自己消費を目的とした酒類の製造は右法条にいう「製造」に該当しないことが明らかであるにもかかわらず、これをも含むとして自己消費目的の酒類製造について犯罪の成立を認めた原判決には法令解釈の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで検討するに、酒税法は酒税の徴収確保を主な目的とするものであるところ、同法は見出しを「みなし製造」としたその四三条において、自己消費のため酒類を製造(混和)する場合についても規定を置いているのであつて(同条九項)、同法が商品としての酒造のみでなく自己消費目的の酒造りをも規制の対象としていることは明らかであること、免許制度は、一定の行為を、公共の福祉の要請等から、一般的に禁止し、この一般的に禁止した行為、すなわち不作為義務を特定の要件を備えた者に対し、あるいは特定の場合に解除し、適法にその行為ができるようにさせるものであり、同法七条一項は、「酒類を製造しようとする者は、……所轄税務署長の免許を受けなければならない」として免許制度を採用し、酒税の確保と一定水準以上の品質保持のため、原則として法定製造数量をこなせる規模の者に限つて免許を付与することとしたので(同条二項)、その結果として、その余の零細規模の酒類製造や自家用酒造をしようとする者については、酒類製造の禁止が解除される余地はなくなつている。そして同法五四条一項は、「七条一項の規定による免許を受けないで、酒類を製造した者」を処罰する旨規定しているのであるから、免許を受けないで酒類を製造した以上、たとえその酒類を自己の飲用に供するため製造したもので、販売・利得の目的がなかつたとしても、無免許酒類製造罪を構成することは明らかであるから、原判決の法令解釈に違法はない。論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第五点及び被告人の控訴趣意(いずれも憲法解釈の誤りの主張)について
各所論は、個人が自家用に酒を造り楽しむことは、他人の権利とかかわりをもたない純粋に私的な事柄に属し、この領域は、本来的に公権力によつて干渉されるべき分野ではなく、個人が私的事柄を自由に決定することのできる権利は憲法一三条の幸福追求権のうち人格的自律権として保障されるべきものである、また、この権利は、人間の根源的尊厳乃至価値にかかる権利であるから、一般の経済的自由権等とは明らかに区別されるべき重大かつ優越的権利である、しかるに原判決は人格的自律権によつて保障される個人が自由に酒を造り、それを楽しむ権利を無理に経済的自由権に属する権利であるとして、最高裁判所昭和四七年一一月二二日大法廷判決の論理に依拠して合憲判断をしたけれども、個人が自家用に酒を造る権利は、利潤を目的としないものであるから経済的自由権とは異なるものであつて、右最高裁判決によつて示された合憲性判断基準を本件に適用するのは誤りであり、本件においては、より厳格な基準であるところの「より制限的でない他のとりうる手段の基準(L・R・Aの基準)」あるいは「広汎に失する故に違憲の基準」等によるべきであり、これらの基準によれば、酒税法が個人の自家用の酒造りを禁止した規定は憲法一三条に違反し違憲と判断されるほかはなく、個人が自家消費用にする酒造りを課税対象から除いたとしても、酒税収入が著しく減少して立法目的が達成されなくなることの蓋然性はほとんどないし、収税の確保という立法目的を達成するためには、個人的小規模な酒造りについても課税する方法を採用すれば足り、酒税法の立法目的が収税の確保にあるとした場合にあつても、個人が自家消費用に酒造りすることまで一律に禁止することの必要性及び合理性を基礎付ける理由はないから、自家用の酒造りまで免許の対象となるものとし、無免許製造として処罰し得るとした原判決は、憲法解釈と酒税法の適用を誤つたものであつて、それらの誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで、検討するに、憲法は、一三条において、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする、と規定する一方、同法三〇条、八三条において国民の納税義務と租税法律主義を規定し、国民はその総意を反映する租税立法に基づいて納税の義務を負うことを規定している。国民は、国に対し各種の公共サービスを受けることを期待し、国はこれに答えるべく諸種の施策を実施することを任務とするところ、国はこの公的要求を充足するための資金を必要とし、租税は、かかる公的欲求(財政需要)を充足するための資金獲得を本来の目的とし、更には富の再分配・景気調整等の機能をも有する等、租税政策は国の財政政策の一部をなすとともに、広く経済政策の一環をなしている。かように、個人の自由・幸福追求権が重要な権利であるとともに、国の財政の健全な運営・実施もまた重要であつて、いずれか一方が絶対的に他に優越するものではなく、憲法は、国の財政上重要な租税収入の確保を図り、国の財政需要を満たすために、個人の経済的活動や財産権に対し一定の合理的規制措置を講じ得ることを当然予定し、これを許容しているものと解せられる。ところで、所論は、個人が自由に酒を造り楽しむ権利・自由は利潤を目的としないから経済的自由権とは異なるとして原判決が最高裁判所昭和四七年一一月二二日大法廷判決の示した合憲性判断基準を適用したことを非難するけれども、物を造るということには、その物を造る過程を楽しむという意味において幸福追求権の行使であり、また物を造ることで自己表現をしているという意味で表現行為でもあるという側面があるにしても、生活に必要な物を造る行為自体は、利潤目的を有するかどうかを問わず経済的活動であるから、原判決が本件の酒造りの問題を経済的自由権の問題であるとして把握し、その規制措置の合憲性を判断したことに誤りは認められない。そして、租税の課税・徴収の分野において、酒造りに対し法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとして、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の政策的・技術的な裁量判断に委ねられるべきところであるから、当該法的規制措置の合憲性を判断するにあたつては、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることが明白である場合に限つて、これを違憲としてその効力を否定することができるものと解するのが相当であるところ、原判決が採用した合憲性判断基準に誤りは認められない。また、酒税法において酒類の製造について免許制度を採用し、免許を与える条件として法定数量を設定し、その結果として自己消費目的の酒類の製造を規制した措置に必要性と合理性を認めることができるとして原判決が説示しているところは、すべてこれを是認することができる。
所論にかんがみふえんするに、租税立法に際しては、国の財政需要をまかなううえで、租税収入を確実・的確にあげ得ること、課税の公平を期すること、課税要件が明確であること、執行面においてできるだけ効率的に租税収入をあげ得ることなどの租税原則を充足することを要し、このための法的規制措置をもうける必要性がある。そして、租税の対象として、如何なる種類の税をもうけるか、どのような物に税を課するかなどは立法政策の問題であり、酒類はある程度までは生活必需品として消費される性格があるけれども、生活必需品として必要な程度の酒類の消費に充てられる金額は、所得税の課税最低限の中に折り込みずみであるともいえ、その程度をこえた酒類は嗜好品であつて、これを消費しなくてもなお生活できる物品であること、その消費は各人の嗜好の程度や経済力に応じて区々であり、その消費は担税力の間接的表現であるとみられること、酒類の消費量が多く大きな税収が期待できることから消費税の課税対象として好適であることなどからみて、消費税として酒類に課税することにはそれなりの意義があり、必要性・合理性がないとはいえない。所論は、『酒税は商品として製造される酒類についてのみ課税すべきであり、自家用醸造酒については課税の対象から除外したとしても酒税収入が著しく減少し立法目的が達せられなくなるというような蓋然性は少ない』とし、『仮にその蓋然性があるとしても自家用醸造酒にも課税する方法をとれば酒税確保の目的は達せられるから、いずれにしても自家用の酒造りを禁止する必要性も合理性もない』と主張する。しかしながら、自家用の酒造りを認めた場合、(1) 酒類の製造設備、技術、原材料等のいずれの面からみてもその製造が容易であること、酒税の税率が他の消費税に比較して高率であることからして、自家用酒造者の数及びその製造量が相当大きなものとなる虞がないとはいえず、その結果酒税収入が激減する虞がないとは言えないこと、(2) 自家用の概念は極めてあいまいであり、自己消費にとどまるか、振る舞い酒や贈答用酒まで含むかなどの問題があるとともに、自家用の名の下に大規模な製造が行なわれたり、非課税の自家用醸造酒が広く第三者へ譲渡される虞も相当程度あり、この面からも酒税収入が減少する虞があること、(3) 自家醸造できる者とできない者との間及び非課税の自家用醸造酒が市販された場合には、その購入者と酒税のかかつた酒類の購入者との間で課税上の不公平が生ずること、(4) 仮に自家用の酒造りを禁止せずこれに課税する方法をとるとしても、(ア)酒類はそれが直ちに消費に結びつき得るから、自家用の酒造りの事実及び製造量の把握が極めて困難であり、(イ)酒類製造者の数が膨大になつた場合には酒税の検査取締は事実上不可能に近く、酒税のほ脱が増加し、酒税負担者と負担しない者との不公平が拡大し、適正な課税の確保が不可能となることなどからみて、実際問題として、免許制度を廃止したり、自家用の酒造りを認めつつ、酒税を負担させるという制度が円滑に機能するとは考えにくいところである。所論はまた、『昭和三七年に梅酒が解禁されたが、その結果リキユール類の販売量の減少は見られなかつた事実に照らして自家用の酒造りを解禁しても酒類の販売量が減少するという理屈は、想像上の仮説でしかない』と主張するけれども、梅酒は酒税のかかつた酒類に梅を混和するものであり、いわゆるみなし製造とされるものであつて(酒税法四三条九項、同法施行令五〇条一一項)、一般の酒類の製造と比較するのは相当でないとともに、見込まれる酒税の額、徴収の難易、一般国民の自家消費用の果実酒造りに対する考え方等諸種の条件を比較衡量のうえ、これを酒税の対象からはずしたものであつて、それはまさに立法政策上の問題であつて、梅酒の例をもつて一般の酒類の製造について論ずることは当を得ないものというべきである。
そして、酒税がわが国の租税中、所得税・法人税についで重要な収入源となつており、酒税収入の減少、不確実、負担の不公平、徴収の不効率等のもたらす影響は小さくないものと推認される。かようにして酒税の確実な徴収と課税の公平を期するためには、酒税の転嫁を容易にし、酒類の製造の事実及び製造数量を的確に把握し、酒税収入の安定的かつ効率的な確保が図られねばならないのであつて、酒税法はこれら目的に適うものとして、その七条一項において酒類製造について免許制度を採用し、同条二項で免許付与の条件として法定数量を定め、同法五四条一項で無免許による酒類製造を罰し、その結果自己消費目的の酒類製造を禁止・処罰することとしたのであつて、これら法的規制措置は、いずれも右立法目的との関連で一応の必要性と合理性を認めることができ、立法府の裁量権を逸脱して著しく不合理であることが明白であるとは認められない。したがつて、酒税法七条一項、五四条一項は、幸福追求権を保障する憲法の規定に違反しないものというべく、原判決の憲法解釈、酒税法の適用にいずれも誤りはない。論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 朝岡智幸 裁判官 小田健司)